第2章『言葉の特性が養う聴覚と行動!』
序章では素朴な疑問や音楽の悩み、音楽にまつわる現象を、そして前章では音楽について視点を明確にするために、音楽の最も原点である拍やリズムを分析してきました。これらの基本的命題を踏まえ、この先、さまざまな分野の視点を通じ音楽をさらに分析していくことにします。
=======定義 ========
1章では「音の濃淡」「柔らかい音」「音の効率」など、言葉と楽音の関係について定義しましたが、新たに用語を追加します。
自信を持って堂々と話すときは、口を広く開けて子音をはっきり発音し、語尾もはっきりいい切ります。そのときの声を「太い」といいます。そして自信なく、あるいは消極的に喋るときの表現に「か弱く」「か細く」などの言葉があるように、弱々しくいい表わすとき、口ごもったり口を細めて語頭語尾を発音しますので「細く」「細めて」などと表現します。「発音を細めてか弱く」などと使う場合も出てきますが、その現象をイメージできるのではないかと思います。
まずこれまでと視点を変えて、われわれの言語習慣から眺めてみましょう。
1節〈言語の比較と音楽の類似性〉
日本語と比較した英語の特徴を挙げてみます。
1・強弱アクセントの語法をとる。
a.息の圧力により、音声の濃淡をコントロールしている事。
b.腹に息の溜があり、発音する。(前乗りの発音である。)〈後述→4章3節〉
c.唾を飛ばす程の強い無声音、子音がある。
2・子音で終る語が多くある。(子音を発音するには腹で切る必要がある。)
a.語尾を腹でいい切っている事、など。(特にドイツ語は語頭語尾の子音が強く発音される。)
3・子音と母音の数は不一致である。(3つ子音が連続していることもある。音楽家の名前にもその特徴が見い出せる。(Bernstein, Gershwin, Schuman)(Bach, Brahms, Burgm�ller, Bruch)
4・早く喋るほどに母音が消える傾向にある。
5・英語は一音節一音符(打合点)を取るために言葉を音楽に乗せやすく、定期的なリズムの中で普通の会話ができる。(単語同士が連結する、連音もある。)その会話のリズムにいくらかの抑揚をつけたのが『ラップ』と解釈できるでしょう。
英語は子音と強弱のリズムで成り立ち、母音は付属的なものだとさえいわれます。
-------------脚注17---------------------
タイム&チューン(〜
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-------------脚注18---------------------
ラップ=ロックミュージックの〜
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*習慣や他の特徴
A.インド.ヨーロッパ語族の語順である。
B.主語を省略しない。
C.主語が日本語に比べ明確で、Yes.Noが明確。
D.目的語をはっきりさせる習慣がある。(そのために語尾がはっきりし、いい切っている。)
-------------脚注19---------------------
比較言語学上の分類。アルタイ諸語〜
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一方、日本語は
1・音程(高低)アクセントの語法をとる。(例=雨-飴。赤-垢。白-城。夜-寄る-等、高低で言葉の違いを表す。)
a.割合一定の音圧で喋る。
b.腹の溜の習慣が少ない。〈後述→4章3節〉
c.子音が弱く、音(おん)と音(おん)の強弱の差(濃淡)が少ない。
(息のスピードの変化が少ない。)
d 音程で一音を変化させる。(または二音間において。)
2・子音で終る語は語尾の「す。」くらいしかみあたらない。
3・母音のみか、一子音プラス一母音で、早く喋ろうが一語一語の発音は基本的には変わらない。(一音一音符(打合点)を当てはめ、比較的一定のリズムで喋る。)
a.一音で意味する漢字は辞典で調べると‘あ’で11文字‘い’で74にも上がります。亜阿、意位委井伊医衣威胃亥易猪異移、等。(木、林、森、漢字を聞いてイメージできる視覚的(思考的)言語でもある。)
b.子音より母音に重きをおく傾向がある。
4・腹を使って喋らなければ発音できない言葉は日本語においては一つもない。(後述)
*習慣や他の特徴
A.アルタイ語の語順。
B.主語を省略することを習慣としている。(あるいはできるだけ主語を曖昧にさせている。)
C.語頭語尾を曖昧に発音することが多い。
D.目的を明確にすることを避ける傾向にある。
民謡、浪曲、演歌など蝋燭の炎を揺らさずに、また鼻から垂らした紙を揺らないように発声する、という訓練方法を聞いたことがある。それは日本語と日本音楽の特徴をよくいい表している。それは唾を飛ばすほど強く発音する強弱アクセントの正反対を意味していると思われる。
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*妙薬10=西洋音楽の鉄則
西洋音楽においては〜
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日本の歌曲では原則として一文字一音符をあてています。そのため、日本語でのラップは「南京玉すだれ」などの伝統芸能や歌舞伎など、さまざまな伝統音楽の台詞のようなものになってしまいます。 〈後述=4章3節〉(似たものが中国にもみられる。)
----------------脚注20-------------
トニー谷の「あなたの〜
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----------------脚注21-------------
最近の若い〜
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2節〈奇怪な現象〉
a.『ッ』の発音ができない現代人
日本には腹の溜がない、強弱、濃淡が無い、と述べましたが、私は『ッ』の音、促音は跳ねる言葉なので、腹で切る(跳ねる)ことだ、とそれまで思っていました。クラリネットの私の生徒、そしてまた吹奏楽の指導をしていて、生徒たちの日本的な演奏を排除させるため、腹を敏感に使わせるための何かよい訓練方法はないものかと、それまでもさまざまな方法を考えては用いていました。
ある時、訓練法の名案がうかび、この『ッ』を連発させ、腹を働かせて強弱アクセントの西洋音楽を理解させるのが最もてっとり早い方法だと考えたのです。掛け声の「ソーレッ」「セーノッ」「オッ」「ヤッ」「ハッ」などです。
しかし結果はさんたんたるもので、期待は見事に裏切られました。その「ッ」を、腹で切って発音できる人が、初回の練習で男性2、3割。女性で1割くらいしかいません。
随分驚かされましたが、それは各学校とも同じことで、演奏の訓練より発音の訓練に明け暮れることになってしまうのです。そのためもっと確実にこの「ッ」を発音させる言葉はないかと思って辞書などをめくり、探しましたがみあたりません。唯一思いついたのが『ヤッホー』というかけ声です。日本の言葉ではないと思いますが、発音させてみると、同じく悲惨なものになってしまいます。一体どこでこの『ッ』を発音しているかというと、舌だったり喉で切ったりしているのです。日本語では腹から発音しなければ、通じない言葉は全くみあたりませんでした。
-------------脚注22---------------
スイス民謡「おお、〜
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「しまった、こまった」などの「ッ」は如何にも腹で切っている感じがしますが、殆んど舌や咽、あるいは唇を閉じて発音しています。笑っている時などは、その典型があり、大きな声、驚いた時などはもちろん腹筋を使っていますが、意識するとできません。普段の習慣にないものはできないものなのです。
※1章末尾で定義区分した階層構造を適用すると、上記の発音の問題は、強弱のフレージングにおいての発音のしかたのことですから、第一次構造に近い第二次構造に分類できます。しかしこれら発音に関する事は生活習慣や個人の性格によっても、大きな差があるので間接的には高次構造も関係しています。
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*妙薬11=腹筋の俊敏性を養う
「ハッ」「ヤッ」など、〜
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補説9=「ッ」の発音の〜
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※言語と運動力との関係はあると推察できますが、調べていません。
b.音が聞こえない
それまでの私の研究において、性格や積極性、また個人の喋り方や言語習慣までが演奏表現に深く関わっているということをある程度つかんでいました。しかし今一つ、スッキリと説明できる自然さと明解さがありませんでした。
ある日‘一つの現象’を見い出した後、‘その現象’を踏まえることで音楽にまつわる殆どの現象が矛盾なく説明できると同時に一層単純で効果的な演奏法が導き出せるようになってきました。さらに本書で展開しているさまざまな事柄の確証も得ることができるようになりました。
現在では車、電車など、所を選ばず好きなジャンルの音楽を高音質で楽しむことができる時代になった反面、現代の生活においては音楽から逃れることは難しいことになってしまいました。音楽は趣味、専門にかかわらず、身近という事を通り越し、自分の文化のように思っている人も多いでしょう。しかしその音楽において出ている音、すなわち、
『西洋人が演奏した音が、日本人のわれわれに“聴こえていないという現象がある”。』
といったら皆さんはどう反応するでしょうか。「あるかもしれない。」「何個かあっても大勢に影響ないだろう。」その程度にしか思って頂けないかもしれません。では、出ている音の重要な部分全て聴き逃しているといったらどうでしょう。
これから語ろうとすることは現実に起こっていながら、とても理解し難い、体験し難い現象だ、という事をお断りし、それまでの私の経験と経緯をそのまま語っていくことにします。
それは今から15~6年前になります。擦り減って雑音だらけになってしまった私の心の師と仰ぐ、とても大切にしている一枚のクラリネットのレコードがありました。練習に疲れて久し振りに針を下ろしたところ、その雑音だらけのレコードから、いつもと違うとても新鮮な演奏が聴こえてきました。不思議に思いながらもしばらく耳をかたむけていました。
20~30分ほど経ったでしょうか、『まさか!』と、耳を疑ってみたくなる現象が聞こえているのに気が付きました。
私にとっては喜ぶべき新しい発見でしたが、そのたった一枚のレコードが、それまでの私の音楽人生の根本的過ちを指摘していたのですから、その衝撃は尋常なものではありませんでした。
その衝撃とは今まで聴いたこともない“各音の立ち上がりの音(発音、点前の子音)”が聴こえてきたのです。さらに聴き込むと無声音(子音、点前の前の息の音)までが次第に確認できるようになりました。夜が明けるにしたがい、立ち上がりの音の微妙な違いから点後の繊細な音の揺れ、息の流れまで、より鮮明に聞き取れてきたのです。他のレコードも同様であったことは言うまでもありません。
それまで音色の判断においては多少自負するところもあっただけに、以来、ひどく落ち込んでしまいました。
どうしてそれほどはっきりした音を聞き逃していたのでしょうか。
練習で一日を過ごしていた時代にはレコードやテープレコーダーは私の勉強にとって欠くことができないものでした。テープレコーダーには自分の練習やレコードなどを吹き込み、回転数を変えたり多重録音するなどして分析し、当時だけでも3台のオープンテープレコーダーと2台のカセットテープレコーダーを修理不能といわれるまで使い壊しました。しかしなぜかその日まで私の耳には聞こえなかったのです。
「ほかの人も聞こえないのか……。」音楽の世界に起こるさまざまな矛盾や疑問を考え続け、自問自答の日々が続きました。
それから半年ほどたったある日、『誰も聞こえない。』と推論してみるのが一番自然ではないかと考えたのです。そして‘聞こえない’という推論に日本人特有、と思うさまざまな現象を当てはめ『‘日本人’には聞こえない。』と仮定してみると、今度は反対に本文で述べている矛盾の多くはすっきりと説明がついてしまうのです。
※上述は主に発音の問題で第一次構造に分類。以下は抑揚、強弱のリズムの関係の第二次構造を考えてみます。
c〈拗 音ようおん〉と〈L.R〉
では何で聞こえないのか、という奇怪な現象を考えていかなければなりません。
聞こえない音というのは、まず最初に立上りの発音時の音、点前の音、そしてリズム核の音。すなわち無声音や子音など、強弱アクセントの腹から発している音(抑揚)、発音の明確さなど。そして語尾をいい切っている様、その中にある抑揚などです。
「それではまるで聞こえていないことになる。」「日本人に聞こえない音があるなんて、そんな馬鹿な。」と思うのは当然です。
韓国人は日本語の‘しゃ行’を発音する場合‘ちゃ行’(拗音)になってしまい、正確に発音できません。(国籍とは別に母国言語が関係している。)
同じくアメリカ人が話す日本語は、強い子音とアクセントがあります。
アメリカ人の場合は、日本語のなめらかな音程アクセントと語尾の微妙ないい回しと、そして‘等リズム’が聞こえず、出ていない子音、語尾の子音がはっきり聞こえてしまい、彼らの習慣の強弱アクセントをあてはめて発音してしまうために起こる、日本人には聞こえないという現象の反対の現象だと思われます。(「トーキョー」「シンジューク]「ヨーコハーマ」。「ワタシハ~」等。」
逆に私たち日本人にそれを置き換えてみると、馴染み深いのは英語の「L、R」の区別がつかない事、そして「N、M」の区別(エンヌッ、エンムッのようには聞こえません。)、そして英語にあって日本語にない発音の習慣全て、そういうことになるのです。反対に英語に出ていない母音や、一音一音符(のリズム)と音程アクセントを聞く努力をしてしまいます。
これらは言語の習慣にないため、発音し難いこともあるでしょうが、言語習慣に無いから聞こえない、反対に“有ると聞こえてしまう”という現象が主な原因だと思われます。日本人の英語下手、外国語下手の一つの大きな理由だと思われます。
またこの現象の典型は耳の不自由な人が喋れない、発音がおかしくなるのと同じ理由だと考えられます。そして外国語を持ち出さないまでも、日本語の方言についてもまったく同じことがいえます。身近な例では「が行」の発音の濁音と鼻濁音の発音習慣の違いもそうでしょう。さらにこの現象は英語に限ったことだけでなく、馴染みのない言語ほど顕著になり、単語のみならずフレーズの区切りでさえ、また一部を真似ることすらできません。反対にラテン語のような日本語の発音に近い言語では、意味は判らなくても、それに比べると一つ一つの言葉のリズムはより理解できます。
そしてさらなる現象は、自分の英語の発音が正しいか否かは本人の記憶や経験など、培われてきたセンスによって大きく違ってきますし、その上骨振動も関係してくるので自己判断もなかなか難しいことなのです。
述べてきたように相手が喋っている外国語の発音の細部は聞き取れません。そのため自分が喋る外国語の発音の細部も自分自身には判断できませんし、聞こえません。そしてまた反対に聞こえてしまう現象も起こります。ですから当然テープレコーダーを使って判断しても、厳密には聞こえない、あるいは注意を怠ってしまう発音が存在したり、自分自身には都合よく聞こえてしまう現象も当然起こるはずなのです。これと全く同じ事が音楽で起きていたのです。
そしてこれが世界中の音楽界に大きな混乱を起こしているウィルスだったのです。
-------------脚注23--------------
若い人たちの〜
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*妙薬12=日本人に聴こえない音・耳の訓練
骨振動を理解し〜
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3節〈日本人の会話習慣〉
~意志模索的で依存的な消極的会話習慣~
a.曖昧ないい回し
日本語はしばしば主語を省略して会話しています。その意識は日本人である私たちにとってはあまり自覚を持てませんが、洋画などの会話を注意しながら聞いていると、英語は奇異に感じるほど主語を頻発していることに気がつきます。主語に限らず、英語の肯否の明確さはよく言われることです。
私たちの日常会話の単純な肯定否定の返事は別として、会議など、意志を問われる内容を含んだ返事をしなければならないときの肯定の「はい。」もさることながら、「違います。」「いいえ。」という言葉は、特に波風をたてる気がしてとても使い難いものです。また目上の人やあらたまった席での会話では、肯定、否定に限らず、特に遠回しないい方をすることが多いものです。そのため相手の意見や本音を聞き出すのにたいへんな時間と労力を必要とするときもあります。うっかり違う考えをいおうものなら嫌われる、という心理が働くことがその一因でしょうか。
これも習慣でそうしていますが、買い物に行った時も、「あのー。」「すみません。」と細々とした声でへり下ります。
意志を出さないこと、曖昧にすることを美徳とするところがあるせいか、多くの場合、語尾の音声を細めたり濁したり、微妙な語尾変化をつけたりします。できるだけ間接的ないい回しにして、相手に意志を汲み取ってもらうという会話の方法を、私たちは知らぬ間にとっているものです。
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*妙薬13=日本的表現の弊害-(主語、目的語)
西洋音楽に書かれている〜
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“善処しましょう”とか“前向きに”は政治用語で有名ですが、私たちが喋る普段の会話においても、自信をもってはっきり意志を出すことはそれほど多くないでしょう。殆どの場合、いい切れることでもいい切らないように言葉を選んで使っているものです。
※語頭の発音を慎重に(子音を遅ればせに弱く)、母音を押して(伸ばして)柔らかく発音し、語尾では子音母音とも曖昧にして音程を下げていい切らないように、発音や抑揚で制御しています。
主語の省略や目的語など、語尾をぼかすことは習慣でそうしていますが、喋り言葉をそのまま文章にしたら意味不明のところだらけになってしまいます。そういった文章を見ると普段われわれは「そんなにいい加減な言葉を喋っているのか。」と思うと同時に、相手の意志をいかに模索しながら会話しているかということが、このことから逆に推察することができます。
これに対してヨーロッパ、特にアメリカでは、主張した意見が正しいか間違っているかは別として、意志表示をすることを良しとする習慣があります。日本人の私たちからみれば奇異としか思えない言動があることは、テレビのニュースや国際討論会などでもかい間見ることができます。
政治、商談など交渉事や、学術的な事などに英語が国際語として使われる理由の一つに、言文一致のほか、意志を明確にする習慣があるという理由もあるかもしれません。もし日本語が世界の共通語になったら、と想像するのも楽しいものです。
英語と日本語とを比較すると、会話の習慣だけではなく、文法構造まで曖昧に喋れるようにできています。できるだけ相手を傷つけず、そして嫌われまいとする習慣からきているのではないかと思われます。(以上、フレージング第三次構造以下に関係。)
乱暴な比較ですが、西洋音楽の発達してきた国の言葉や習慣は、日本のそれらと比べると裏表に感じるほどの違いを受けます。さらに思いつく日本独特な習慣と文化を考えてみます。
b.(甘え)ブリッ子
言葉の心理として、疑問文は疑問詞がない場合、大抵語尾の音が上がります。それは世界共通しているでしょう。それと同じ心理と思われますが、母音を故意に伸ばすと相手の気を引きます。
特に現代の若い女性の喋り方にそれを感じますが、肯定を意味するときでも微妙に語尾を引っ張り、相手の同意を求めるごとくに会話することを多く観察できます。
例えば「それでぇー」「~でねぇー」「わたしはぁー」。また感動を表わすとき「きれいー」「おいしいー」「かわいいー」等々。
母音を後ろへ伸ばすことと、母音でだんだん消えるように薄くする、または細めると不安心理や曖昧さ、思慮深さなどを感じるせいか、何となく気になるものです。
そして「はい。」等、はっきり意思を表わす時、普通は腹で切る「はい」の後に「ッ」がついたように「ハイッ!」と発音するのが正確な発音でしょう。しかし多くの女性の喋り方は「はいぃ~」「わたしはぁ~」と、微妙ですが、語尾を引っ張ります。そしてその発音をしている女性の発音をよく聞いていると、昔でしたら「舌足らず」とかたづけられていた舌の短い人のような喋り方、つまり「にゃにぃにゅにぇにょ」の発音、もしくは「きゃきゅきょ」「みぁみゅみょ」に近い発音です。すなわち全ての発音を「え行」もしくは「い行」に近い口腔の発音で喋っているので「にゃ行、きゃ行、みゃ行」に聞こえるのですが、それらはまるで猫が甘えているような感じすら受けます。
そして男性の場合は反対に口ごもったいい方、“う行の発音”が目に付きます。
これら両者とも主張できない不自由さがそうさせているのかもしれません。また女性の発音をよく聞いていると、“ぶりっ子”の潜在意識は当然あるでしょう。そして‘意志を出さない習慣’のほか、大声を出した経験がない、運動不足、「ヤッホー」がいえない「ッ」の発音ができないことにも大きく関係しているらしいことも推察できます。いずれにしても自信を表に出せない、甘えが通じる、気を引きたいという心理が働くことも事実でしょう。
時代が遡りますが、同じような喋り方が観察できたのが学生運動家の喋り方です。「われわれはー」「~~でえー」「粉砕するー」「オー」と、後ろに言葉を故意に伸ばす独特ないい回しでした。それは強調と同調を求めた両者を兼ねた心理がその言葉の中に出ていたのではないかと思えます。(主にフレージングの第三次構造に区分)
※茨城弁や大阪弁など語尾を持ち上げるように思いますが、これらの心理から出たものかどうかはわかりません。
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*妙薬14=日本的表現の弊害-(甘えを表す語尾)
初心者に限らず〜
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f.不安を表す語尾語頭
私は米軍基地の爆音を子守歌に育ちました。家の回りには多くの米軍将兵がいて、買い物をしたり、日本人従業員たちと話したりする姿を毎日見聞きしてきました。
当時、子供の私は、日本人の彼らと米軍将兵とが英語でやりとりする姿を間近に見て、たいへん不思議に思った事があります。それは日本人の喋る英語には必ずといってよいほど「~ねー」「~でねー」「それで~」「~さ~」という日本語が混じっていました。
その後、私は日本語の喋れない米人教師に英会話を習う機会がありましたが、その時、それが理解できたのです。こちらが喋れないので間がもてない事もありますが、いい出すことといい切る事にとても不安がありました。そのために「えー~」「あのー~」と始めたくなり、接続詞に「~でさ~」「~だからね~」を付けたくなり、語尾に「~ね!」「~なのよ!」「わかった!」とやりたくなるのです。
日本語にはっきりいい始める習慣と、語尾をいい切る習慣がないことも一因しているのではないかと思えます。
c.小さな文章
俳句や和歌は短い文に多くの意味を込め、独特な間を持ちます。日本語は文を小さく多くを語れるという特徴もありますが、言葉少なく言って汲み取って貰おうという習慣もあります。お喋りは嫌われます。
その言葉を汲み取れない人は“教養のない者”のようでした。代表的な例の一つ、落語にもなっている‘禅問答’が有名です。私たちの言葉の習慣と感性は意志を汲み取ってもらうことの前提に立って会話をし、それを美徳としているのではないでしょうか。
日本語は情緒や感情などの表現において、曖昧な中間的な表現をすることに優れている言語ではないかと思われます。またそれに適した発音方法や喋り方などを合わせ持たせてきたように思います。(第三次構造に区分)
4節〈母音文化〉
~演奏の動きに出る日本人の特徴~
日本語の特徴や喋り言葉の習慣を通して、私たちの心の底に潜んでいる感情を述べてきましたが、この節では私たち日本人がいかに音(おん)のいい回し、すなわち母音に意識をとられ、母音に特別な感情を抱いているかを検証していきたいと思います。
日本人の演奏表現の習慣は日本語の発音と同じように、子音を弱く(細く)母音で膨らみ、一子音プラス一母音(または母音のみ)で一つの打合点を作ろうとする潜在的欲求を持って演奏していることが頻繁に観察されます。そして“おん”(音)と“おん”の間に任意の「間」を持たせようとする。またフレーズ語尾は特に、この日本語的ないい切らない、気を引くような曖昧な間を表現することが顕著に観察されます。そして気持ちが改まり、慎重でおごそかな気持ちになるほど子音を曖昧にし、そして母音を濃厚な音にして引っ張り回す、という感性があります。つまりは母音に強い意識を持っています。
いい替えれば、リズムと発音のタイミングを曖昧にして母音に意味を込めるために、西洋音楽的リズムを取ることがますます困難になります。この現象は西洋人の演奏との比較をするより、お経や祝詞または浪曲や演歌を当てはめてみると理解しやすいでしょう。
a.母音を歌い回す民謡
例えば、民謡はたいへん言葉数が少なく、母音を引っ張り、歌い回しています。“送り音”や“揺・ユリ”と呼ばれる処理です。民謡に限らず、邦楽全般に感情を込めるほどに母音を歌い回すという処理が見受けられます。歌舞伎、浪曲、講談などは同じ母音が二つある‘複母音的’に歌い回します。または台詞を喋ります。
例えば「時は三年」という台詞があるとします。それを表記すると「トウオ.クウイ. ウワ.スワン.ヌエン」等、微妙に‘母音に音程をつけながら歌い回す’ような独特ないい回しをします。もちろんわらべ歌、童謡、演歌とて例外ではありません。(中国の京劇やコーランにも似た歌い回しが観察できます。) ※注=江差追分の本歌は16音(おん)、箱根馬子唄は26音を歌い回しています。)
-------------脚注24-----------------
歌い方によってそれぞれの〜
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◇◇◇
日本人が西洋音楽を演奏するとき、上記のように母音をひっぱったり、またすでに述べたように主張を穏やかにしたりします。さらに子音をはっきり発音する習慣もありません。そのためリズム核に向かって発音するための準備、すなわち‘腹の溜’の習慣も少なく、それらの習慣や感性を当てはめて西洋音楽を再現しようとしますので発音が遅れます。その結果、西洋音楽の演奏に際して、予定しているリズム(時間)は先へ先へといってしまい、リズムの‘あるべきところ’はいつも過ぎてしまっています。
すなわち演奏者は音を出そうと息を送り始めると同時に、体も打点に向かって(踊りのように)本能的に動き始めますが、体を下に打とう(打点)としても発音の遅れから音がついてきません。体が下になった限界でもまだ無声音か子音で、母音が認識できません。そのため再び音と体を打合させる点(母音)を求めますが、体を上に持ち上げることは心理(生理)的に弱拍になりますので(母音になりにくく)、しかたなく力ませながら体を前方へと押し出すことになります。
---------------脚注25----------------------
本能的という言葉に〜
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それが習慣となり、演奏中の演奏者の体の動きは、遅れる子音から母音へ、母音から複母音(西洋音楽には架空)へと、まるで舟の舮を漕いでいるように前方に体を押し出すような動きになります。
ひどい場合には打合点が上下逆さまになり、体が上に上がった時に強拍、下に下がった点が弱拍という処理になってしまいますが、この“子音の細さ(弱さ、遅れ)”と、この“逆さリズム”あるいは“舟漕ぎリズム”で西洋楽器に対処しようとすると致命的欠陥を生むことになります。
この日本語の発音の習慣と、その方法で培った感性で楽器に対処しようとする習慣が根底で邪魔をして、最終的には冒頭で述べた‘歩きながらの演奏’が不可能となってしまうのです。〈→補説11〉(この問題は改めて6章で述べる。)
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補説10=正規のリズム核から〜
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※以下この節では第一次構造が第二次構造へ、そして次第に高次構造へ影響している事を示していきますが、同時に高次構造が低次構造に影響を与えている悪循環も考えられます。
b.管・弦楽器の母音処理
発音することに問題が多くあるクラリネットにおいては、その「舟漕ぎ」や「逆さリズム」など、さまざまな動きの典型がありますが、比較的発音の自由なフルート、サックス、そして立ち上がりが早い二枚リードのオーボエ、ファゴット、金管楽器にも顕著に表れています。
他に発音が自由なはずのヴァイオリンにまでこの動作がつきものです。これらの楽器は持続音を発するため、それらの動作が割合に確認しやすい形で音となって表れます。
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*妙薬15=日本的表現の弊害-(リズムのない表現)
西洋音楽のリズムを〜
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補説11=近年古楽器の演奏が〜
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c.体を母音に合わせてしまうピアノ奏者
同じく、母音に体を合わせるような動きはピアノ奏者にも見られます。ピアノでは打鍵後、手の甲を「フニャッ」とくねらせたり、押した鍵盤から出た音を確かめるように数回力を入れ直してみたり、肩をすくめたり。また肘でリズムを取ったり、舟を漕いだようになったり、体を縦横にくねらせてリズムを逃がしてみたり、それはさまざまな動作をします。
いずれも腰でリズムを感じることができません。もちろん、弦楽器を含めた全器楽奏者とも基本的にはこれらの動作がついて回るのですが、ピアノにおいては打鍵後、音を変化させられるはずがないし、させられないのを承知しているはずです。しかしこの動作をしてしまうところに母音処理の潜在的欲求の強さを示す、その特徴が際立っているとみることができましょう。また電子鍵盤楽器において、ゆっくりで情緒的な曲を弾かせるとほぼ全員が、この指と体の典型的な動作をします。
※単音でのスタッカート時、長い音符、フレーズ終の音等に特に表れます。またはっきり比較を済ませていませんが、ハープなども同じような現象が観察されます。)
d.母音の感性(首振り認知)
音楽鑑賞の時、そしてまた器楽より発音が自由なはずの童謡、唱歌等を歌う時に、首を縦に振りながら(うなずくように)リズムを取るという、日本人独特と思える動作が観察されます。この‘首振り’の動作は今のところ日本人のほか、中国の一部ウイグル地区に見つかっているくらいです。
そしてこれははっきりと比較を済ませていませんが、膝を曲げることも同じではないかと思います。
※沖縄には振り付けの一つとして、膝を曲げる動作があるようです。また首振りは中国や朝鮮半島にも認められます。また4章4節で述べますが、日本人は不確定な間をどこかで補正しながらリズムを取っています。この両者が交ざった現象ではないかと思われます。
上記の“首振り”と“膝まげ”の動作は、西洋人が‘腰でリズムを感じている’、その事の正反対を意味していると考えています。4章で詳しく述べることになりますが、それは強弱アクセントのリズミカルな腹を使う言語と、音程アクセントなどの言語の習慣の違いがそこに出ていると考えています。
e.打楽器の母音処理
先のピアノ、管楽器において“船漕ぎ母音処理”が云々、と述べましたが、これらの日本人的意識が出ている典型を、打楽器においても耳と動作でとらえることができます。
それはピアノ奏者が手、腕をくねらせたり余韻を楽しんだりしている動作と同じ、すなわち叩いた後の音に影響のない撥さばきにみられます。
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トライアングルなどの小物をたたく時に手で楽器を揺らし、音に揺れ“うなり”を作る動作なども行っています。これらの動作は専門家においてはあまり見かけません。また音を揺らすことはヨーロッパでもやっている場合があるので、はっきりと区別は付けにくいですが、日本のアマチュアの打楽器奏者においてはその典型が見られます。
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曲の語尾を切らず、シンバルだけ伸ばしている表現方法が一時、吹奏楽において一世を風靡した事もありました。これら “間や揺れや語尾”などの処理の特徴は、日本人の感性を表す典型ではないかと思えます。
それは演奏者本人の自発的感情よりも、指導者がそう(雑音の打楽器とて音楽的に)聴きたいという欲望があるためではないかと思われます。
リズムを腰で感じていなければならないはずが、それがなく、腰以外の動作は頻繁に観察できます。このような日本的感性の表現といえる母音処理は、さまざまな楽器で頻繁に行われています。
☆☆☆
述べてきた日本の音楽文化の長所である母音に対する感性、感覚は、西洋音楽を行う上でのマイナス面として色濃く反映されていますが、われわれにはあたり前な習慣ですし、日本人の感じたいと思う一般的音楽感情に対して、演奏者の表現と体の動きは一致しますので、リズムが大きく崩れない限り、その不可思議な動きに対しても違和感を感じることは難しいのです。
外国の演奏とを比較研究すれば判りそうなものですが、“無声音、子音など、息、立ち上がりが聞こえないわれわれ”にとっては、曲の持つ雰囲気を感じる“母音の方”に“聴覚の神経が取られてしまう”ことになります。そして西洋人の演奏の出てない(強調してない)母音を聞いて(感じて)しまうため、これを見極めて判断することもたいへん難しいことなのです。
そしてこれらの現象はそれこそ日本中のいたるところの団体、あるいは個人にみられ、無い者を挙げた方が余程早いくらいでしょう。そしてその聴覚にまた体の動きがつられることになりますが、これら体の動きと音の関係は、複雑で魅力的な音楽の現象の前には二の次の問題となってしまいます。
多くの人の喋り方に注意をむけていると、語尾を言い切らず曖昧にしたり速度をゆるめて柔らかくしたり、感情を後に残したような、あるいは押し殺したような喋り方などもよく耳にしますが、演奏表現においても喋り言葉とまったく同じ表現が観察できます。その視覚的に判りやすい典型が‘舟漕ぎ’やシンバルの音を残す処理、またピアノ、鍵盤楽器奏者の手首などの処理、音楽鑑賞、歌うときの首振りの現象など、述べた事柄だったのですが、これらの処理は、日本人は母音に情緒を感じたいという強い意識の表れだと思われます。(一時はレコードの余韻を真似ていると思ったのですが、根本現象は上記です。)
子音を曖昧にして母音を引っ張り、引っ張りまわした母音に体を合わせる動作は、これまた観察した限りにおいて日本人以外にはみあたりません。(但し→5章2節b=外来演奏家) それは日本人の西洋音楽の認知のしかたそのものなのです。
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インド、タイ、ラオス、カンボジア、フィリッピンな〜
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5節〈踊り〉に出る言葉のタイミング
〈1章3節=リズムの発生〉で踊りと指揮の関係を一部述べましたが、踊り(行動)と歌とは一体の動きを示すものです。
同じ民族が演奏し、踊った場合は同じ感性を示すことになりますが、他民族が行った場合には微妙な差が生じ、計測機を使わなくても、各民族のリズム感覚の相違をある程度調べる事ができます。
音楽に合わせて踊る場合もそうですが、歌いながら踊る場合にも民族間の動きの相違を多く見い出すことができます。すなわち演奏と踊り、歌と振付けは、スピード、タイミング、流れとも、同じ関係にあります。(2節で述べた発音の認知の問題〈聴こえない〉、4章3節で述べる言語構造の違いも、深く関係していると思われます。)
典型的な比較は、例えばアメリカ人が演奏するジャズに合わせてアメリカ人、日本人、中国人、韓国人などを踊らせ、その動きを比較するという方法です。そしてその組み合わせは民族の数の累乗だけあります。つまり演奏者とダンサーが同国人(同民族)同士であれば演奏、踊りともタイミングは一致するはずです。
大づかみにいうとアメリカ人の乗りはとてもスピーディーで、鋭角的な動きをします。これに対し、日本人の動きは鈍く曲線的で消極的な動きです。アメリカ人はリズム核めがけて(予測して)行動しているのに対し、一方日本人は音が鳴った付近で動き出す事が確認できます。この違いは踊りに限らず、特に音楽を使うスポーツ(シンクロナイズド・スイミングやフィギュアスケート)、そして再現芸術全般、さらに行進、民族音楽、各種イベント、またマラソンなどの長距離走にわたって観測することができます。現在その違いを映像でとらえ、比較することは容易です。
これら動きの感性を追い続けていますが、特にリズムのよいのが、アメリカ人(特に黒人)、ラテン系、アフリカ、イギリス、ドイツなどです。
--------------脚注27---------
これらの比較は〜
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そして中東から東南アジアにかけてリズムを逃がす情緒的な要素が入り出します。インド、東南アジアには、日本(舞踊)のようにリズムを逃がす微妙な手、足の動きがあることが観察できます。そして日本にたどり着くとリズミカルな動きが消えています。
※リズミカルな動きが殆ど見受けられないのが、今のところ中国の一部と日本です。
アメリカ人をはじめ、それらのリズムのよい民族においては4拍子のリズムは8回(アップビート)、体を動かしていることが観察されます。これを追いかけると北アメリカ、南アメリカ、ロシア、中東、インド、韓国を含む東南アジア全体にわたってまで確認できます。
----------------脚注28-------
裏拍のリズムに〜
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そしてはっきりとしたアップビートの動きではありませんが、それ“らしきもの”はエスキモー、ロシアのモンゴロイド系の少数民族とアイヌにもみられます。(アップビートのリズム形はその民族において微妙な差があるが、厳格な8拍子(アップビート)ではない。日本のリズムについては4章3節で述べる。
それらのアップビートを日本において調べてきましたが、北は「津軽三味線」、盛岡の「さんさ踊り」。南は山口県の「やっさ踊り」「阿波踊り」などです。「さんさ踊り」においては4拍子の日本的動きでしたが、日本太鼓をも含めて、伝統を受け継いでいる団体ではアップビート“らしきもの”をとっている踊りは、今までのところ、先の山口の「やっさ踊り」「阿波踊り」松山の「どんと焼き」「沖縄地方」などを除いて見つかっていません。そして子供は直感的でリズムに敏感だと考え、別の視点から取材し観察してきましたが、日本においては子供が太鼓をたたいても、アップビートをとっている姿は観察できませんし、腰でリズムを感じている様子すら見かけません。
----------------脚注29------
先のアイヌ民族のほか〜
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これら日本人特有のリズムの乗り方、表現のしかたは伝統音楽に限らず、クラシック、ジャズにもロックにも見い出すことができます。ロックにおいてはこれほど若い人たちに人気があり、事件を起こすほどにヘッドフォンステレオをむさぼり聞いているにもかかわらず、日本人のやるロックはリズムの曖昧な情緒的ロックです。たとえ裏拍のリズム(1ト2トの“ト”=アップビート)を取っていてもはっきりしたものではなく、何処かでリズムを逃がしています。プロミュージシャンも同じ傾向にあります。
このような日本人のリズムの『乗り方』は、直感的な動き(仕事や運動、またはかけ声など)とは違い‘数え方の拍’に近いリズムの乗り方になります。それらはなぜ起こるのでしょうか。
「門前の小僧習わぬ経を読む」の諺のように、センスは見たり聴いたり環境に触れたり、それら経験することによって理解し、身に付け、再現に結び付くことになりますが、この事は“見ても聴いても細部は判らない”ということも意味していることになります。
そしてこのリズムの感じ方の違いを自覚するのは難しい事ですが、私たち日本人のする音楽に敏感に反映されているのです。以上、第一次構造が第二次構造に影響している例です。
言語学では世界のどの言語も母音にリズムがあるということは共通した認識のようですが、私がここで展開している音楽における子音、母音の関係も、その意味においては変わるところはありません。述べてきたように母音に対する意識などの言葉の習慣が、日本人が行う西洋音楽に顕著に出ているということは、これまでの説明からある程度理解して頂けたのではないかと思いますが、ここで読者に今一度確認しておかなければなりません。それは本論では西洋音楽に対する日本人の対処方法の根本的誤りを論じているわけです。日本語の母音や、母音の意識をそのまま西洋音楽に当てはめようとする‘潜在的な誤解’があるということです。すなわち母音(子音)など、言葉の発音は言語によってタイミングからスピード感、認知まで違っているということです。子音もさることながら、本章で述べてきた母音に限っていえば、日本語の母音は西洋の各言語の母音と同じ発音(同じいい回しや意識)ではないという認識を持たなければなりません。
-------------脚注17---------------------
タイム&チューン(ABC放送 廃刊)/小林克也アメリ缶(カタログハウス)/4BEET ENGLISH(ソニー)
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-------------脚注18---------------------
ラップ=ロックミュージックの音楽のリズムに乗せながら「喋る」旋律のない音楽のことをいう。
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-------------脚注19---------------------
比較言語学上の分類。アルタイ諸語、ウラル語族、両者を合わせてウラルアルタイ語族という区分もある。ここでは日本語の語順と英語などの語順(I am ~~=私は です 何何)の違いと言語習慣を指している。西洋音楽は主にインド-ヨーロッパ語族から発達している。そのことから身近な英語を比較に出している。〈→補説=30〉
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*妙薬10=西洋音楽の鉄則
西洋音楽においては特にフレーズの出だしの発音、終りの(ブレスを含めたブレス前後の)主張が明確である。私たちの演奏とを比較してみるとよい。
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----------------脚注20-------------
トニー谷の「あなたのお名前なんてーの」は知られている。
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----------------脚注21-------------
最近の若いロックミュージシャンの中には日本語を使って見事なラップを聞かせるグループもあるが、一般的には成り立たないでしょう。
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-------------脚注22---------------
スイス民謡「おお、ブレネリ」で馴染です。英語ではyoo-hoo
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*妙薬11=腹筋の俊敏性を養う
「ハッ」「ヤッ」など、促音の発音の典型を楽器に応用し、訓練することはたいへん効果的です。それは正確な発音や正しい打合点を作るための訓練の下地になり、西洋音楽、しいては西洋楽器に正しく対応するための手立てともなります。(第一次構造の訓練が第二次構造につながる。)
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補説9=「ッ」の発音の習慣と腹の鍛練の基本的訓練の下地を作るために、また楽器を演奏するための基本的体力は最低 50回~80回くらいの腹筋力と、鋭敏な瞬発力が必要だということが経験的にいえます。しかしこの瞬発力をいかに西洋音楽に適用させるかが問題になってきますが、日本的な表現の習慣が出てくると、腹筋力と瞬発力は簡単に失われてしまうことになります。腹筋運動の訓練を日課練習として、腹筋力を維持させることは過ちを防ぐ一つの基本的な手段でもあります。言葉の特徴、音楽の特徴をよく把握して訓練することが大切です。(第一、二次構造の訓練)
腹で発音する習慣、また演奏する際、腹で音の‘濃淡’を作る習慣があれば50回前後の腹筋運動は維持できるものです。それは逆説的に、私たち(日本語)は普段いかに腹を使わないか、ということをよく表わしている事象ではないかと思われます。
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-------------脚注23---------------
若い人たちの多くが鼻濁音と濁音の違いを区別できずに発音している。
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*妙薬12=日本人に聴こえない音・耳の訓練
骨振動を理解し、自分の真実の音を知ることは演奏における基本的要素ですが、ここで述べている子音、無声音、そして息の流れ、音の濃淡を聞き取る訓練も重要です。各楽器の発音時の雑音を聞く訓練から始めてみてください。(第一次構造)
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*妙薬13=日本的表現の弊害-(主語、目的語)
西洋音楽に書かれている明確な主語を表現すること、語尾をいい切ることに私たちは潜在的恐怖を感じてしまいます。いずれも戸惑いながら当たり障りないわれわれの方法を取ることになりますが、西洋音楽は西洋人の表現手段を用いてこそ、適正な表現と演奏効果が期待できるのです。手始めに私たちが見習わなければならないのはこれらの習慣です。(高次構造)
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*妙薬14=日本的表現の弊害-(甘えを表す語尾)
初心者に限らず、特に女性に語尾を引っ張る傾向があり、男性はおし殺す傾向の演奏になります。(第三次構造)音楽において音を出すこと切ることを恐れず、曖昧さを排除して、明解な主張をすべきです。
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-------------脚注24-----------------
歌い方によってそれぞれの名称があるようですが、邦楽全体に統一がとれた名称なのかどうかは不明です。〈→補説=27〉
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---------------脚注25----------------------
本能的という言葉に疑問を感じる人がいるかもしれません。それは本論各所で述べていることですが、打点と音を一致させる事は生理的、そして心理的欲求を満足させ得るもので、本能的な欲求に近いと考えています。
西洋音楽が直感に近い感覚的な要素を持っている音楽であるとすれば、反対に日本音楽は情緒的音楽ということができるかもしれません。
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補説10=正規のリズム核から発音を始め、自分が発音する母音に向かって体を押し出し、母音に念を押すかのような動きをします。それが舟の舮を漕ぐ恰好です。(正確な打合点(打点)の打ち方はボールが床に落ちて床を叩く如くの運動をいいます。)
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*妙薬15=日本的表現の弊害-(リズムのない表現)
西洋音楽のリズムを日本人の感覚に置き換えてとらえています。タイミングよく発音する習慣がない上、発音が遅れるために、常に潜在的葛藤が生じることになります。これがさまざまな障害を生む原因になっているのです。発音のタイミングの研究が必要です。〈→4章3節及び妙薬10、11、→補説9〉(第一次構造)
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補説11=近年古楽器の演奏が盛んに行われていますが、西洋人のヴァイオリニストの中にも同じように、船を漕いでいるような動きをする人を時々みかけます。これは古楽器の音の立ち上がりが悪いために起こる現象だと思われます。同じくオーケストラの管楽器奏者の中にこの現象をみかける時があります。それを観察分析すると、大編成で大きなホールの時がほとんどです。ソロや小編成のアンサンブルではリズミカルに打合させて演奏しています。
オーケストラでのその動きは、残響の影響と音の到達時間を計算するなど、感覚的に演奏できないために起こる現象だと思われます。〈→追旨2-3=音のずれ、距離の関係〉知的作業が多いと動けなくなり、感覚的要素が多いと体は自然に動くものです。
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-----------------脚注26-------------------
インド、タイ、ラオス、カンボジア、フィリッピンなど東南アジアには穏やかで繊細な踊りがある一方、たいへんリズミカルで荒々しい動きの踊りもあります。民族間の影響があるのかもしれませんが、両者混在しているようです。一方日本において荒々しい動きの踊りはほとんどみあたりません。(→次節) また母音に情緒を感じるような動作は言語の関係から察するに、中国には多少あるかもしれません。そしてこの動きはヨーロッパ、アメリカにおいても若干みられますが、日本人の動きとははっきりと区別することができます。また補説=11で述べたように抑揚を表現するため、それに近い動きをする事もあります。
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--------------脚注27----------------
これらの比較は子供など特別に訓練されてない人たち、または初心者に顕著に表れます。
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----------------脚注28---------------
裏拍のリズムに乗ることを、ジャズではアップビートと呼んでいます。
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----------------脚注29---------------
先のアイヌ民族のほか、中国地方、九州など、南の地方にはまだありそうです。以降、本論では「津軽三味線」、「阿波踊り」沖縄地方のリズムの乗り方は例外扱いとします。
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