第5章『音楽は言葉だった!』
日本人に起こる障害や表現の特徴、またわれわれの感性と心理など比較を通し、言葉と関連づけて述べてきましたが、ここで今一度復習と確認を含めて言葉と音楽の関係を考えてみたいと思います。2章1節=〈言葉の比較〉を参照
=〈西洋言語(英語)と西洋音楽〉=
言葉と音楽を対比してみます。まず言語の特徴は、
a) 強弱アクセントの言語。
b) 子音、無声音が太く、強い。
c) 語頭をはっきり出発し、語尾を細めずはっきりいい切る。
d) リズムがはっきりしている。
e) 言葉のいい回しがはっきりしている。
f) 文法構造に(日本語に対し)違いがある。
=西洋音楽は=
a) 音程がはっきりしている。
b) 子音・無声音が強い。
c) 語頭、語尾をはっきり主張する。音(おん)が強い。
d) 細かいリズムが感じられ、リズムが明確である。
e) 特にはっきりした主張がフレーズ始めと終りにある。
f) 主音で始まり主音で終り、主張が明解である。(積極的に情緒を表す。)
g) 西洋音楽は構造的にできている。
第1節《音楽の方言》
アメリカは西洋音楽の発祥の地と同じ宗教、同じ文法をとる言語圏に属しています。
私も含め、多くの日本人は「フランス人のやるブラームスは感心しない」とか、「アメリカ人のベートーヴェンはどうも!」などといいます。
反対に西洋人、アメリカ人のやる邦楽を心から鑑賞する日本人はいないでしょう。おそらく微笑ましく思うのではないでしょうか。
ジャズはシンコペーションを始め、リズム、抑揚、アクセント、スミアー、息の出し方などの表現は英語そのものです。スキャットは声を楽器のように扱っています。つまり言葉のない英語で演奏していることになります。
----------------脚注54----------------
アメリカの伝統音楽には〜
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-----------------脚注55--------------
スミアーSmear=音をずり上げる〜
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ドイツ語は語頭の発音が強く、子音で終る語が多く、子音をはっきりいい切っています。同じようにドイツ人の演奏は発音が強く、語尾がはっきりして表現にめりはりがあります。
オーストリア人の演奏も、喋り言葉とつながりを感じさせるものがあります。
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補説29=中世の音楽はなぜ母音を〜
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----------------脚注56----------------
もしモーツァルトが北ドイツ〜
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----------------脚注57----------------
Geoffrey Chaueer
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ロシア語を聴くと母音のいい回しを若干感じますが、ロシア人の重厚な演奏には言葉と同じく母音を感じさせるものがあります。
フランス語は子音が柔らかく母音を引っ張る感じがあり、語尾を残します。フランス語特有の鼻にかかった発音と語尾を残すいい回しはフランス音楽そのままです。また細かな音符を時として借用したかのような速いいい回しで演奏することがありますが、リエゾン(連音)の影響ではないでしょうか。シャンソンには発音の柔らかなアコーディオンの音と軽快ないい回しがよく似合います。またフラッターと呼ばれる舌や咽を震わせて音を出す特殊な表現が現代奏法にありますが、特にフランス音楽で頻繁に使われます。起源ははっきりとしませんが、おそらく舌や喉を震わせる習慣があるラテン系のイタリアや、フランスなど、それらの言葉の発音を持っている国が発祥地ではないかと思われます。
イギリス人の音楽表現は、はっきりした音の立ち上がりと明解なリズムにより、自由かっ達な表現にその特徴を見い出します。
日本人がアメリカ人の日本語を聞くと“あいつはアメリカ人”と判ります。中国人の日本語、韓国人の日本語も判ります。大体どこの国の人か判断できます。反対に日本人が英語を喋ると、中国、韓国人との顔の見分けは判らなくとも、先のL, R, N, Mの発音、一音処理、流れの曖昧さなどから、おそらく日本人だと判ることでしょう。
日本人は中国人のやるクラシック音楽をフニャフニャだといいます。それは中国語なまりのクラシック音楽そのものだからです。そして中国の胡弓の演奏も中国語そのものです。中国中央楽団は近年たいへん上手くなりましたが、それでも中国的な発音、いい回しが出ます。
ジャズは英語そのもので、アメリカ人の演奏するドイツ音楽もよく判るとも述べました。では、西洋から最も遠い国の日本人が演奏するベートーヴェンが西洋音楽になっている、ということを、日本人の誰が証明できるのでしょう。
喋る言葉に国籍が出るように、音楽表現に方言が出ないはずがないのです。
補説30=↓
表
〈1章1節b〉会話の速度では言葉の判断力と音楽の聴覚との間に関係があることを、
〈2章2節b〉「聞こえない」では言葉の習慣にない音は聞こえないということを、そしてまた母音に対する日本人の心理を、
4章序節では声の強さ弱さ、硬い柔らかい、高い低い、など音の効率を人間がどうとらえているか、また息が有るとき無いときなどのさまざまな息遣い、呼吸の生理機能と表現の関係、それを聞く側がどうとらえるかも述べてきました。〈→追旨1=呼吸〉
また4章2節以降ではリズム処理、スタッカート、発音特性など言語とのかかわりを比較してきました。
音楽にかかわる表現の法則から、鑑賞し、味わう感性、さらにはそれらの判断基準(センス)まで、全てにおいて音楽は人間の持っている体の特徴と生理機能(生体の能力)、そして言語や文化の構造と密接な関係にあるのです。それは声楽、歌曲を考えれば当然すぎるほど当然なことです。
音楽(表情や音色)に国籍がでるのは、無声音、子音、母音等、発音状態や抑揚など、言葉の習慣がそのまま演奏に反映されてしまうからです。すなわち言語と言語習慣で培われた感性、感覚で音楽を演奏し、判断しているのです。
もうご理解いただけたことでしょう。そうです、音楽は言語の習慣そのものであって、言葉を聞き取る感性と聴覚で音楽に対処しているのです。そして私たちが演奏している音楽、聴いている音楽は、日本語の耳で演奏し、聴いていることになるのです。しかも英語など外国語の発音が理解できないと同じ、その程度の耳を以って。
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*妙薬46=「音楽は何語!」
抑揚、ニュアンスなど、潜在的なセンスも含め、音楽の認知は言葉によって培われています。すなわち、センスの原点は言葉の習慣にあるといえます。〈→追旨2-7=記憶と経験〉
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当然のことながら、日本音楽は日本語で歌いやすい構造とリズムをとっています。一方西洋音楽は西洋言語に合ったリズムと構造をとっているわけです。いい方を変えると、文法構造から主張の仕方までが音楽に表現されていることになります。
今まで述べてきたさまざまな日本人の障害、つまり発音の遅れ、任意のリズム、乗り遅れ、一音処理で母音をいい回す、雑音が云々、そして情緒的になり音を押す習慣、etc。それらは全く自覚のないまま日本語の処理を以って西洋音楽に対処していたために起こった現象、だったのです。
人が音楽を評す時「音楽的な音」「音楽性」「芸術性」、そして音の違いは「文化の違い」「骨格の違い」だ、といって済ませがちです。親子の声が似ている事を考えると、遺伝も当然大きな要因の一つになっていることでしょう。しかし鳥の鳴き声にも方言があるようですし、また雀に育てられたインコやウグイスは雀のような鳴き声です。ですから骨格や遺伝と一言でかたづけてしまう事に対して大きな疑問を感じるのです。子は親の発音を真似て育つからです。〈→追旨2-4d=音の処理が音色を〉〈→追旨2-1c=触覚と支えと音の感覚〉に解説。
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*妙薬47=複雑なセンス
インコは自身の持っている声域範囲で〜
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2節〈日本人の音楽心理〉
音楽認知の源は言語活動
人は音を聴いて感情を読み取ることができるように、パントマイムの体の動きを見て感情を読み取ることもできます。身振りは言葉を補佐することからも判るように、体の動きに対するわれわれの感性感覚は(細部では多少違っていても)ほぼ世界共通であるわけです。すなわち私たちが感じることのできる動きの感性は、呼吸と運動機能とで培われ、磨かれた感性です。そしてその感性をもって私たちは感情を読み取り、生活し、音楽を感じとっています。
人間は言葉を喋って表面的に意志を表わしていますが、言葉の裏側での顔の表情や態度は心理を表わしています。その言葉はいい表わそうとする感情から、さまざまな息の使い方の中にスピードや抑揚の変化をつけてフレーズ感を出したり、ブレスや間などの緊張を作り出しながら感情を表わしたりしています。この表裏の感情表現を基にして歌が生まれ、声楽、オペラへと発展したわけです。一方、日本語の感情のいい表わし方は歌舞伎などの邦楽へと発展しました。また歌を抽象化、あるいは高度に高めたものが弦楽器や管楽器などの器楽へと発展してきた、と考えられます。
作曲家は、人間の(呼吸することから生まれた)心理と、言葉を喋る経験から学んだ感情処理を元に作曲を行い、一方鑑賞者は演奏された音楽を同じ心理で感情処理し、判断し、聞いているわけです。このことは外国の演奏家の演奏を日本人が聴いた場合に、そこに矛盾が出てくることになりますが、それは実は邦訳して聴いていることになります。ヨーロッパ人が邦楽をやればこの反対の現象が出てくる、ということを考えれば理解できるでしょう。〈→追旨2-6b=逆転の発想〉再現芸術は、自分たちの言葉の習慣に置き換えて表現しているのです。そして音楽は“よそ行きの言葉”つまり改まった言葉でもあり、内面の葛藤を表わした言葉でもあるのです。そのため潜在的な思考の中の習慣も関係してきます。つまり外見上はおとなしい喋り方をする人でも心の中では葛藤している人、外見は活発でも内面では思慮が足りない人、改まった気持ちの持てない人など、それぞれの側面が演奏に現れます。音楽は内面の言語活(内面的言語活動)も敏感に演奏に反映するのです。すなわち、内面も含めた喋り言葉の習慣の心理で音楽を演奏し、聴いて判断しているのです。
音楽を勉強している人たちは、楽譜の中に特殊な魅力が隠されていて、その音楽を表現するには特別な能力を磨かなければならないというような錯覚を起こしがちですが、音楽も言葉も人間の機能の範ちゅうにおいて培われたものだということを、まず考え方の基本に据えてから、音楽の魔力の探求にあたるべきです。
一方、スポーツではあらゆるタイミングを呼吸で計っています。そして思考は日本語で行っています。したがって日本語の習慣と日本語のタイミングで行動していることになるでしょう。反対にいうなら日本語の範囲内での行動と発想以外は日本人にとって苦手だという事になるかもしれません。〈→追旨2-5=TuとDu〉〈→脚注=46〉
外来文化を取り入れても、その民族に合っていなければ文化として発達せず、一時の流行で終ってしまうでしょう。音楽においても同様に、発音(子音・母音)のしやすさ、間、歌い回しが自由になるもの、余韻のあるもの等、日本的な味わいの出せる日本人の感性に合った音楽、楽器、表現法が日本で発展、発達してきたということがいえるわけです。
そして、科学技術の発達とともに居ながらにして世界中の情報が手に入り、世界中の文化に触れることができる現在では、日本で発展、発達してきたものに限らず、西洋音楽や多くの音楽遺産を知ることによって新たな音楽の理解が生まれます。また初期教育や情操教育もさかんです。西洋音楽に理解があり、西洋音楽が好きならば楽器がうまくなるか、演奏できるかという問題が出てきます。しかしそれを否定することはできませんが、また別の側面があることも理解しなければなりません。
音楽に理解力があることは能力があることには違いありませんが、演奏には文化(社会習慣)や言葉や習慣にまつわる問題があり、結果的には重大な障害へと発展してしまっていることを気がつかずにやり過ごしていることが多いのです。
“いい音楽だ、音楽は素敵だ”と楽器を買って演奏してみると一音一音の処理になってしまいます。生まれ育った方言が何らかの形で残るのと同じように、西洋音楽の演奏表現を日本的情緒やいい回しに置き換えてしまいます。演奏は個人の性格や言語活動、そして民族的習慣をそのまま反映します。それは述べたように管、弦楽器において顕著であり、ピアノ、打楽器においても見い出す事ができます。内面的言語活動も含め、言語習慣とまったく同じ演奏法になっているのです。
私たちが西洋音楽を語るときには、才能と音楽性、芸術性、テクニックなどたいへん語彙が不足しています。そして演奏現場では残念ながら、アインザッツ、音程など、縦横を基準に寸法を揃えることに奔走しています。それで済まないものは「音色、音楽性は云々」というはめになります。それでも説明不能に陥ると、神秘性や音楽論が出てくることになり、解ったような気にさせられてしまいます。それらに傾倒するがため、自ら墓穴を掘っては途方にくれることになります。そしてそこに再び西洋人崇拝が始まることになりかねないのです。
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*妙薬48=音楽の表情は言語習慣
音楽は言葉の持つ手法と〜
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息をつめたような話し方の人〜
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a.帰国音楽家の動揺
外国に留学した者で日本に帰ってきて数年すると、その演奏に変化が出てきて力量の落ちる人をみかけることがあります。全部そうだとはいえませんが、日本の習慣のアレルギーになるか、あるいは同時に、日本語の母音処理や曖昧なリズム処理に改めてとらわれることも原因しているでしょう。体の動きと音楽処理を観察するとそのような傾向が見受けられます。
b.外来演奏家
そして、子音の強い演奏家、母音、余韻を粗末に扱う演奏家、「リズム」や「間」が日本的感性に一致していない演奏者たちは、仮に日本以外で有名だったとしても、日本においてはCDの輸入もされませんし、演奏家として招聘されることもありません。
逆に、体や手や腕をくねらせる演奏家の表現、あるいは、ある程度任意な間(フレーズ前後で割り切れない間、語尾に余韻を残すような表現)をとる表現が日本では好まれます。それを証明するごとく、日本で人気のある外国人演奏家には、このリズムを逃すような動作を観察することができます。反対に日本に呼ばれてもこの動作のない外国人演奏家は低い評価しか受けません。それはリズムが正確で発音(子音)がよりはっきりしているため、日本人のわれわれには雑音にしか感じられないのです。その
ため特に日本で高く評価され、日本に再三招かれるという外国人演奏家も出てくるわけです。
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補説31=日本的習慣から抜け〜
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3節〈母音に捕われる日本人〉
A〈虫の音の感情〉
日本人は虫の音を音楽ととらえる唯一の民族だといわれていますが、その真偽はさておいても、私たち日本人は虫の音やにわとりの鳴き声まで雑音とは思わず、昔から生活の中の一部として楽しんできました。先の「鹿威し」や「水琴窟」、そして「風鈴」もその代表的なものの一つに数えられるでしょう。
何処からともなく聞こえてくる音も情緒を感じるものです。これらに共通することは不定期な‘間’を持つ事です。子音が弱く、いつのまにか母音になり、またいつともなくはかなく消える。そして音と音の間に不定期な「間」があります。遠くで鳴く犬の鳴き声や鳥の声、ひぐらしの鳴き声、鶏の鳴き声も同じです。遠くの音は適度に小さく柔らかく響くためか、深夜、遠くで鳴る踏切の警報さえも哀愁を感じます。そのようなものに対して日本人は‘はかなさ’と情緒を感じるのではないでしょうか。
反対に周期が短く定期的なもの、子音が強く、減衰がはっきりしているものは雑音ととらえるのではないかと思えます。
B〈構造とリズム〉
西洋人の考え方の底辺には構造的なものの考え方が定着しているのではないかと思えます。その喋り方は感情をはっきり示し、リズムに明快さにあります。そして言語は意志を直接伝えられる直感的な文法構造をとるということがいえそうです。
それに対して日本人は、意思や感情を表にだすことを避ける傾向にあります。いい替えれば直接的な表現や構造的な論理を意識的に嫌い、そのいいまわしに適した喋り方と言葉の構造を育ててきたのではないかと思えます。
本論はすべて数値データーのない現象論であり、網羅的ではありませんが、リズム感覚、音楽、踊り、言語、それらの処理や特徴などを比較させて荒い音楽地図を描いてみると、中近東からヨーロッパに向かって次第にはっきりとしたリズムになり、イギリスから終着点のアメリカへ、一方中近東から東に向かって東南アジアを経て日本にたどり着くと時間的に厳格なリズムの周期性が次第に消えるという流れがみえてきます。
これまでの考察から安易に推論することは危険なことで、本論の目的とするところでもありませんが、定住して仲間と協力しなければ生きていけなかった民族では、曖昧に柔らかく喋ることは必要なことだったのではないかと思いますし、危険と背中合わせの生活で前おきをいうことは、かえって危険を呼ぶことになります。読者諸氏はどのように考えるでしょうか。
文化と言語と音楽はとても密接な関係にあるということ、そして特に音楽と言語の関係を述べてきました。文化、音楽、言語の関係から考えると、言語が文化を培ったか、文化が言語に影響を与えたか、同じ国の中でそれを考えると相互作用があるので卵と鶏の関係となります。しかし言葉の習慣が社会生活に与える影響も大きなものがありますし、母国言語によって物事を考える以上、思考にも大きな影響があるだろう事が当然推察できます。
これら言葉と文化の関係を国という大きな単位で眺めた時、そして音楽が言葉の違いによって大きく左右されることを考えると、言葉によって文化も左右されているということが逆説的に考えられます。そしてミクロ的に考えれば、方言、あるいは個人のレヴェルですら、言葉の音韻が個人の性格に与える影響、といったことも考えらるのではないでしょうか。
C〈日本人を育てた母音〉~日本人の音楽心理~
西洋人は子音を腹の溜の後、リズム核に向かって発音します。日本人は子音を弱く発音し、母音で大きくし、そして引っ張ります。そのために発音が遅れ西洋音楽の対処がうまくいかなくなるということを述べてきました。その現象は歌心を持っている情緒的な人ほど、または歌心を出そうとする人ほど日本的感性をあてはめるために顕著な現象となって表れます。その心理的特徴は
(1)日本人の心は骨格を壊すこと、
(2)角張った表現(子音や割り切った演奏)を作らないこと、
(3)目立たなく(あたり障りなく)主張すること、
(4)そして自由に母音を引っ張り回すことなどで、それらがわれわれに染み込んでいる文化的感性であるということをさまざまな角度から述べてきました。
このことはこれまで触れられなかった初見演奏時に起こる技術的葛藤や現象を観察することにより、日本人の音やリズムに対する心理がさらにみえてきます。
----------------脚注58----------------
初めて見た楽譜をすぐ演奏する技術の事。
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初見演奏の際、音を単なる素材ととらえて音を出す(音、または音形のみを追いかける)タイプの人と、初見でも歌心を出そうとする人の間にはさまざまな相違を観察できます。冒頭でも述べたように音楽は運動機能や神経など、味覚を除いた感覚を総動員させて行う芸術ですから、演奏者全員に当てはめることはできませんが、初見が得意な人は(音色、音程、音楽性など)割合無神経に音を出している、という現象を観察することができます。もちろん、音色、音程、音楽性なども訓練によって技術で置き換え、能力として身に付けている人たちもいるので一概に全員が無神経だといい切ることはできません。しかしこれまで分析してきたように、音楽をリズムでとらえようとする人ほど音の処理能力が高く、母音や情緒(歌心)を出そうとする人ほど、初見能力が低くなることが多くの場合観察されます。またテクニカルな現代音楽とロマンチックな曲の処理の違いについても全く同じような現象が観察されます。〈→脚注36〉
コンピュータが進歩するほどに脳の情報処理能力がクローズアップされることになり、脳の働きに関して一般の人々も興味を持つようになりました。私は冒頭でもお断りしたように一介のクラリネット吹きですので、これらのことに口を挟むほどの知識を持ち合わせておりませんし、数値に置き換えられる確実な検証は行ったわけではありません。しかしこれまで述べてきたように、日本人はこの母音に情緒を感じるなど、母音に対する鋭い聴覚(響きの語尾)や感性を持ち、そして子音に対しては反対に嫌悪感を抱くなど、子音や母音に対してかなり特異な感覚を持っているのではないかということが推察できます。〈→2章2節b=音が聞こえない〉
そして音楽の処理においてもその感性が特に働き、この母音『情緒』と子音『リズム』の間に葛藤が生まれているのではないかと思えるのです。
----------------脚注59----------------
全く同じ現象かどうかわかりませんが、アメリカ人、ヨーロッパ人にも少数、似たような現象を観察したことがあります。
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リズム(子音)を出すことと、情緒(母音)を表現することとでは相反する意識が働くのではないかと考えると、これまでの私の研究が一番納得でき、またすっきりとするのです。〈補説17. 32〉〈脚注=25.26.32.36.46.49.51〉に関連記事。
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*妙薬49=指導の秘訣
上記のことは私の教育方針〜
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補説32=1992.11.6朝日新聞夕刊に「〜
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日本人演奏家の中の真に上手だと思える演奏家は、この母音を歌い回すことをせず(母音にとらわれず)、たとえ歌心を出そうとも呼吸と体とリズムの関係が決して乱れないものです。もちろんそれらの人たちは破格なテクニシャン揃いなのです。
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*妙薬50=上達する最大の〜
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----------------脚注54----------------
アメリカの伝統音楽にはウェスタンとデキシーランドジャズの歴史があります。ジャズは西洋音楽と黒人音楽の融合といわれていますが、これらはより民族音楽的だといってよいかもしれません。そして4ビート(拍子)ジャズから8ビート、16ビートなどにも進展し、現在はフュージョン(70年代はクロスオーバーと呼んだ。)まで、進化してきました。反対に原始的ともいえるかもしれませんが。語弊があるといけませんので、ここで挙げる例は4ビート(拍子)ジャズとしておきます。
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----------脚注55-----------------
スミアーSmear=音をずり上げる奏法。又はBemdベンド。(洋楽のポルタメントにあたる。)
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補説29=中世の音楽はなぜ母音を引っ張るような歌い方をするのか、またモーツァルトやハイドンの音楽の柔らかさに疑問を感じていました。中世の英語を調べてみるとたいへん柔らかな発音でした。言葉は時代が遡るに従って柔らかな発音になる傾向があることは、言語学上の共通の認識のようでもあります。そしてそれは英語に限らず、ドイツ語にも日本語にもあてはまることです。さらにウインナワルツやオーストリアの柔らかな音楽がどうしてドイツ語から生まれたのか不思議に思いますが、オーストリアのドイツ語の発音はラテン語の影響が強く、また各国言語の影響を受けて語尾を引っ張る傾向にあるなどの特徴があるようです。
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----------------脚注56----------------
もしモーツァルトが北ドイツで生まれ、ドイツ国内で活動していたら人生が大きく変わったのではないでしょうか。
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----------------脚注57----------------
Geoffrey Chaueer〈THE CANTERBURYTALES〉 CAEDMON CDL-51151
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*妙薬46=「音楽は何語!」
抑揚、ニュアンスなど、潜在的なセンスも含め、音楽の認知は言葉によって培われています。すなわち、センスの原点は言葉の習慣にあるといえます。〈→追旨2-7=記憶と経験〉
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*妙薬47=複雑なセンス
インコは自身の持っている声域範囲で真似ています。私たちも喋り言葉のように声域内の真似など、普段の経験に置き換えられることなら苦労は半減します。
慣れない多様な西洋音楽に対して、センスや才能という言葉を使ってみても苦しみは解決できない場合が多く、その言葉自体、何を指しているかも不明です。〈→追旨3=表現の障害〉
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*妙薬48=音楽の表情は言語習慣
音楽は言葉の持つ手法と同じ表現方法になっています。そのため良くも悪くも、演奏に民族色などの個性が出ることになりますが、ミクロ的には各人の喋り方、感情の表わし方と同じ演奏表現方法をとっています。
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息をつめたような話し方の人、語頭を濁す人、語尾を細める人、思慮深い人、謙虚な人、おとなしい人、厚かましい人、いい切る人、はっきり喋る人、はっきり喋って考えの浅い人など、言語習慣と性格が音といい回しに反映されます。またア行、イ行、ウ行の口腔で喋る人はその口腔の発音の音になります。etc~
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補説31=日本的習慣から抜け出させるのに長い時間を要す生徒も多くいます。言葉になまりが出る如く、母国語の習慣は切り離すことができません。しかし方言は消えなくとも流暢な日本語を喋る外国人がいるように、音楽で障害を生まない方法と、流暢な西洋音楽を喋れる方法で学ばせることは十分可能なのです。また日本音楽と言葉を分析し、同じく西洋音楽と言葉の関係を分析し、教育システムを確立すれば日本に居ながらにして多くの優秀な人材を育てることも可能なはずです。その教育が確立された時こそはじめて、日本人の勤勉さが効果的に発揮できると考えます。
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----------------脚注58----------------
初めて見た楽譜をすぐ演奏する技術の事。
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----------------脚注59----------------
全く同じ現象かどうかわかりませんが、アメリカ人、ヨーロッパ人にも少数、似たような現象を観察したことがあります。
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*妙薬49=指導の秘訣
上記のことは私の教育方針、すなわち子音を強調し(発音の仕方を教え)、母音を意識させないように教育することで、最大の効果を生み出すことができるということが、その正しさを物語っていると思われます。
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補説32=1992.11.6朝日新聞夕刊に「言語音は左脳で、単純音は右脳で」というNTT基礎研究所で行った研究が発表されていました。
人間の脳は言語を処理するときは左側が活発に動き、単純音には逆に右脳が主体となる。(中略)五母音を聞かせたところ、活動までの時間は右脳より左脳の方が28ミリ秒短く、磁界の強さは左脳の方が約二倍強かった。母音ではなく周波数が一定の単純な「ピー」という音を五種類聞かせた場合は、反対に右脳の方が平均15ミリ秒短く磁界は約1.6倍強かった。
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*妙薬50=上達する最大のこつは、日本的歌心を控え、リズムを全面に押し出す事です。そして呼吸と体の持っているリズムの関係を体得することなのです。
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